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「核兵器のない平和で公正な世界を」3・1ビキニデー参加報告(09.03.01)
1954年3月1日アメリカが太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験で第五福竜丸が放射能「死の灰」を浴び、23人の乗組員全員が被ばくし、久保山さんが亡くなった。 日本全国に放射能を含んだ雨が降り、遠洋漁業で856隻の漁船が捕ったマグロ486トンが放射能に汚染され廃棄された。この中には神奈川県の三崎港の漁船150隻も含まれていた。
不安を感じた人々が原水爆禁止の署名を草の根から始めたことがきっかけとなり、1955年に第1回原水爆禁止世界大会が開かれた。
今回の3・1ビキニデー集会は、この集いを起点に、8月の広島、長崎を経て来年の5月のNPT再検討会議で核兵器廃絶の明確な約束を実行させようというもので、2月28日には1300人が静岡県のグランシップホールに集い、翌3月1日の久保山愛吉無線長献花墓参行進には1600人が参加して長い隊列ができた。この中には神奈川県から180人、建設労連の22人の仲間の顔もあった。
貧困政策は軍隊に若者を引き込むため
その後焼津市文化センター大ホールで「ビキニデー集会」が行われ、六つの分科会も盛況だった。私は「核兵器と国民のくらし、経済、環境」に参加した。 現在5兆円といわれる日本の軍事費が本当は、他の省庁の予算で執行されているものもあり、実際には7兆円以上あること。アメリカで顕著になっている貧困政策は軍隊に若者をあつめるためという側面があることなどが語られた。
「核兵器廃絶」日本の与党からは聞こえない
日本の自衛隊が派遣村で有名になった「もやい」に勧誘に来ていたことも話題になった。 最近では外国の多くの政治家が「核兵器廃絶」を口にするようになった。アメリカ大統領のオバマも同様であるが、3回も被爆した日本の与党からはその声は聞こえない。情けないことであり、早急に交代させるべきだと感じた。
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